元町しおり店と拗れた想いの解き方

- 作家鳴澤うた
- イラストさとま
- 販売日2019/03/01
- 販売価格600円
「それに、私にも何か分かることがあるかもしれません。聞くだけなら『ただ』ですよ」元町にある、しおりのみを取り扱う一風変わった店『しおり・MIYAMA』周りの店とは違い不定期に開店する店に訪れたのは、梅の香りのしおりを探しに来た老夫婦だった。しおり以上に求めるなにかを感じ取った店主は、探し主である老父の話を聞くのだが、そこには意外なわだかまりがあった。店主はなんとか求められている「香り」を探し出そうとするが、トラブルが発生し……。思い出や想いが詰まった「しおり」が刻む、拗れたお客様たちの少し奇妙で心温まるストーリー。
疎影横斜水清浅
暗香浮動月黄昏
(宋 林逋 山園小梅より)
梅の香りがどこからともなく仄かに漂って、僕はそれに導かれた。
僕にとってそれは恋の香りで、月に照らされた梅の枝のように影となって心の内にあるんです──
◇◇◇◇◇
カラン、と涼やかなベルの音が響き、扉が開く。
一陣の風が、春の終わりの匂いと温かい空気を店内へ招き入れた。
客がきた、と女性は扉に向かって歩いていく。
本来なら声掛けはするが、出迎えたりはしない。
店の者が傍にいたら、ゆっくりと見て店内を回れないだろうし、昨今の客は店員がひっついているのは好まないと知っているからだ。
そう考える彼女だが、今日はあらかじめ連絡があった客だと店に入ってきた瞬間に分かったので、あえて出迎えた。
老夫婦で、夫は視覚障害者だと事前に聞いていたから。
夫の方はサングラスをかけて白杖を持ち、妻の方は彼の腕に軽く手を添えてぴたりと寄り添っている。
二人とも身なりはいい。
スーツにループタイを着けた夫と。紗の着物を着こなしている妻。
普段から身なりには気を遣っているのだろう。着慣れているようで、服に着られている印象はない。上品で、どこか凛とした雰囲気を持っている。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、連絡した松岡(まつおか)です」
妻がゆっくりとした口調で女性に声を掛けた。柔らかな声音に彼女は口角を上げる。
けれど妻は彼女を見つめながら、すぐに戸惑いを表情にのせて尋ねてきた。
「あの……店主は、貴女でいいのかしら?」
「はい。私です」
「そうよね? 電話に出た声と同じだから。でも、こんなにお若くてビックリしたわ。お幾つなの?」
出迎えてくれた女性は妻の目から、二十歳前後に見える。
髪の色は濃い茶で。これはカラーをすればいい。
灰色の瞳に白い肌。深い彫りの顔立ち──けれど、生粋の外国人とも違う容姿。
外国人の血が混ざっているのだろう。そのせいか実際の年齢は分からず、憶測となってしまう。
「藤子(ふじこ)、失礼だろう?」と夫が妻を軽く諭す。藤子、と呼ばれた妻は自分の出過ぎた真似を恥じて頬を染めた。
「ごめんなさい。私ったら、いつも差し出がましいことを言ってしまうの……」
「いいえ、気にしていませんから。お客様からは、店主と思われていない方が多いですよ」
店主は、さほど気にしていないようだ。
「店主と名乗っていますけど代理、と言った方がいいかもしれません。この店は元々、両親が祖父から譲り受けたものでして。今は両親とも留守にしているものですから、こうして私が店に出ています。それも事情があって、あまり店を開けていないんです」
「まあ、それなのにご無理を言ってごめんなさい」
藤子の謝罪に店主は気になさらずに、というように笑顔で首を横に振る。
「ご連絡いただけてよかった。平日、店は開けていないものですから」
謝罪を繰り返す老妻に安心するように物柔らかな口調で、奥へと案内する。
「それで『香り』のする『しおり』をお探しと聞きました」
店主の案内に藤子は、夫の腕を引いて移動を始めた。
「狭い店ですから、焦らずにゆっくりとおいでください」
店内は十五平方メートル程。様々なしおりが見た目よく並べられている。
しおりを陳列してる木製の什器が幅をきかせているのに、それでもぶつからずに奥へと足を進めていく。
二人でそうして歩くのに慣れているのだろうと、伺えるほど息が合っていた。
「ああ、香りが漂ってきましたね」
老夫がそう言いながら、香りに誘われるように顔を動かす。
少し顎を上げ気味に向けた先は、まさしく『香り』のしおりが並んでいる場所だった。
その反応に店主はいくばくか驚き、
「香りが飛ばないように封をしてあるんですが、お分かりになりますか?」
と尋ねた。声の調子で分かったのだろう。
「目の見えない者は視覚がない分、嗅覚と聴覚が研ぎ澄まされてね」
そう、愉快そうに笑った。
案内を済ませて、店主は二人とそう遠くない場所で控えていた。
店主は仲睦まじい老夫婦を眺めては、時折、陳列してある他のしおりの整理や什器の埃をはらっていた。